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学生時代の思いで (1998)

不安だった一年生の頃から、各クラブの幹部として目が回りそうなほど忙しかった3、4年生の頃、勉強や実習が忙しくなりつつも、上級生としてだんだんクラブのことも全体に余裕を持って見られるようになった5、6年生。本当に最後の最後まで勉強以外にも、山ほどいろんな思い出ができました。浜松医科大学は新設20年くらいの大学ですが、大変良い校風ができてきていると思います。半田山の地でこんなに良い思い出が一杯できたのは先輩、同級生、後輩に恵まれていたからだと思います。この大学には楽しい学生生活を送るのに十分過ぎるほどの下地があると思います。後輩のみなさんも是非、この半田山の地で、みんなで楽しく、大いに学校を盛り上げ、良い思い出を一つでも多くつくってください。今年卒業する時に同級生のみんなが口々に半田山での学生生活が本当に楽しかったと心から言っていたのが印象的でした。
半田山の四季(浜松医科大学学生生活、一年間のながれ)
- 春;新入生勧誘の時期、4月にはいると各運動部で勧誘に各下宿をまわる。お昼を食べに行きませんかと、新入生は休む暇もなく食事につれていかれる。でも食事代はうくし、おいしいものは食べさせてもらえる。普通の総合大学だったら、入学してもなかなか友達もできないが、入学式以前からいろんな先輩が勧誘にまわってきて寂しいというより忙しいですね。入学式では各部による新入生の取り合いがあり、からだが引き裂かれそうに(?)なる。ようやく落ち着いたと思う5月、5月病にかかる暇もなく滋賀医大戦がやって来る。姉妹校である滋賀医大と一年おきに行き来して各運動部で定期戦が行われる。試合より、飲み会が強烈で大変なことになります。ほどほどにね。その後、一年生は一週間交換され、浜医生は滋賀医大の授業に出たり、滋賀の先輩に滋賀、京都各地へ接待してもらえる。突然の交換に訳も分からず他大学の人たちとバスに乗り、Tシャツ一枚で向こうで一週間過ごす人も。先輩になれば接待が忙しい。自分の授業をさておいて潮干狩りやバーベキューなどいろいろ考えて一年生に楽しんで帰ってもらえるように接待する。
- 夏;滋賀医大戦もようやく終わりいよいよ一息かと思う頃、今度は7月終わりから8月終わりにかけての体育会系最大のイベント西医体がやってくる。西日本五ヶ所に分かれたブロックで西日本から集まった医科大学の学生による大会が繰り広げられる。これを目標にみんながんばってくるので6月後半から7月にかけての練習は特に熱が入る。剣道部では脱水で倒れる人もあった。この厳しい練習の中、夏休み等を利用して川へ行ったり、海へ行ったりレジャーを計画して楽しむ。いよいよ西医体、みんなで遠征する。車で行くときも、電車で行くときもあるが、関西、四国、九州など遠くへ行くのでその後の観光もまた楽しみの一つ。松山へ行ったとき、温泉づくしで楽しかったが、試合前に温泉に入りすぎて体がなまってしまわないかと心配だった。これが終わるとようやくオフ。夏休み後半はようやく実家へ帰ったり、旅行へ行ったり、一年生は免許を取ったりする。僕はボランティアサークルに入っていたので、一夏に三つも四つもキャンプがあり、気がつけば夏休みは終わっていた。
- 秋;9月は後期試験、ここは運動部もしばらく休んで勉強に集中する。試験の頃が一番暇なのは僕だけではないはず。10月、今度は11月最初の医大祭に向けて動き出す。一年生は後夜祭の準備で芸をどうするか頭を悩ます。先輩たちはどうやって一年生に芸を仕込んで、医大祭本番で花を作ってやるか頭を悩ます。一週間くらい前からは睡眠時間がどんどん短くなる。一年生の芸は心配だし、出店の準備もしなくてはならない。医大祭前日から、古びた教育棟が別世界となる。気分的にも、体力的にも何か酔いしれるものがある。二日目最終日の夜行われる後夜祭は最大の盛り上がりを見る。ここで一年生もようやく医大生の仲間入りか。終わった後はコンパ、僕たち武道系は武道館コンパに突入する。武道館で目が覚めると、突然現実に戻る。この片づけがまた大変なこと。
- 冬;医大祭が終わって、いよいよ12月、忘年会やクリスマスの時期。僕はボランティアと奇術部の関係で何度クリスマスケーキを食べたことか。多いときは一つの年に6回も食べた。冬休み、学校で無料で貸し出してくれるスキー板と靴で仲間やクラブでスキーに行く。多いときは一冬に3回くらい行ったかな。ようやく正月。1月に入ればいよいよ後期試験の準備、一年間遊んだ分、ここで集中して勉強する。急に医学生らしくなりいろんなことが分かりだす。2月のテストの時期、その後の3月と一年のうちで一番ゆっくりと過ごせる。何かいろいろと考えたりして、次の年に向けてのエネルギー蓄積の時期か。僕は、この時期に、ゆっくりと書道にこったり、植木をいじったり、歴史を調べたり、いろんなことをやりたくなる。地元の小学校や、幼稚園で手品をやるのもこの時期ですね。こうしているうちに、卒業式がきて先輩を送り出し、学校へ行けばまた桜の木全体がピンク色に色づき、吹く風もどことなく春を感じさせ、また新入生勧誘の時期となり一年が繰り返される。今年はどんなことがあるのかな。
剣道部(写真)
中学校で3年間やって一級もとれなかったところ、大学に入ってから七段教士の飯尾先生のご指導のもと、優秀な先輩方、後輩のおかげで苦しくても続け、三段までとることができました。あつくて倒れそうな夏の稽古、寒くて足の裏が切れそうな真冬早朝の寒稽古、苦しい時を一緒に通ってきた仲間だからいつまでも忘れません。
98.3.31.追コン;剣道部のみんなと渋川温泉に泊まりました。宴会では遙か山奥まで梅村教授をはじめ、一瀬先生、飯尾先生、栗橋さんありがとうございました。山根も滋賀医科大学から本当にありがとう。みんなと過ごせた一泊二日とっても楽しかったね。二日目には渋川の自然、味、名所をフルコースで楽しんでもらいました。天気にも恵まれ、きれいな自然とともに、みんなの笑顔いつまでも忘れません。最後の最後に本当によい思い出となりました。みんなの笑顔に感謝。これからは自分たちの手で剣道部をどんどん盛り上げていってね。
98.4.23.プレ新歓;最近の剣道部は女性が増えて、昔の硬派な剣道部はどうなったのだという人も中にはいますが、この日の盛り上がりを見ていると、人数は少なくともまとまりのある、他の部の人たちからもうらやましがられるような良い剣道部ができている思いました。昔どうのこうのではなく、今のみんながつくるまた新しいクラブだと思います。新入生のみんなも多いに剣道部で学生生活を楽しんで下さいね。
- ボランティアサークル四ツ葉との関わり
いつも戸惑いながらも一緒にがんばる友達がいたから続けることがきました。4年次に部長を楽しく、また思いっきりできたのもすべて仲間のおかげだと思っています。また四つ葉でできた新しい仲間は、学生だけでなく、浜松市、さらにこの遠州地方に幅広く、子供たちから年輩の方まで、健常者、障害者も含めて、100人、いや200人はいると思います。いろいろな人たちと出会い、考え方を直接またはその行動から間接的に学ぶことができました。いろいろな人たちとの出会い、いつも真剣にボランティアについて話し合った仲間がいたことはいつまでも忘れません。良い仲間に恵まれました。特に同級生のみんなのおかげで何事にも一生懸命、楽しくできました。
97.8.夏休み 東京米谷家(キッズクラブ)
下級生のみんなに混じって7.8人で引っ越した米谷家に遊びに行きました。米谷家でのバーベQ、学生のみんなでやった小さな小さな劇、広ちゃんを囲む素敵な家族と、四ツ葉のみんなで楽しく過ごした時間はいつまでも忘れません。
「ボランティアについて一考(より詳しい四ツ葉の紹介、写真入り)」へジャンプ
浜松医科大学 四つ葉のホームページへ リンク
- カナダ、ロッキー山脈を訪れて(写真)
気の合う友達同士で、ユースを巡って約二週間、説明してくれる英語も分からずはじめて馬に乗ったり、急流下りをやったり、また氷河の上を歩いたりと、最高の旅となりました。買い物をしたとき店員さんがみんな僕の目を見て笑顔で話してくれたことは一つ印象的でした。また他にもユースをはじめ、いろいろな人たちとの出会いがあり、カナダの広大な大地とともに、日本ではない空気、空、全てのものに感激し、鮮明に記憶に残っています。良い旅でした。
- 北海道礼文島の旅(写真)
札幌、礼文、利尻、稚内、美瑛とユース巡りをしました。礼文島のユースで知り合った人たちと一緒に歩いた愛と涙の礼文8時間コースはとても良い思い出となりました。ユースの人たちの本当に温かいもてなしに感激しました。帰りのフェリーの見送りに紙テープを投げ、ユースの人たちがギターを弾きながらみんなで歌って送ってくれたこといつまでも忘れません。
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- 浜松医大後輩のみなさんへのメッセージ
学生時代は目標を持っていろんなことにチャレンジしたいものですね。特に目標がなければ、クラブにでも入って、そこで一生懸命、精一杯その活動をがんばってみるのも良いのではないでしょうか。その中で目標が見つかったりもするものです。僕は、剣道にしても、ボランティアにしてもなかなか気が進まないものばかりでしたが、あえてその中に身を投げ出し、一生懸命やって、良い仲間に助けられながら大変充実した学生時代が過ごせました。
ただ忘れてはならないのは、痛ましい事故のことです。僕が三年生の時、5年生と1年生の学生4人が車の事故でなくなりました。そのうち5年生の先輩は、僕の高校の先輩でもあり、僕が高校生の時、国語の先生が、浜松医大に推薦入学で入った先輩のことを誇らしげに大変ほめていたのを忘れません。また絵が大変うまく高校の図書館にも残っています。そして大学の美術室にもたくさんすてきな作品が残っています。大学生の時は自治会長として、全校の新入生歓迎コンパと時などはいつも舞台の前にでて、拡声器を片手に「飲酒運転を絶対しないでください。」といつも注意されていました。まじめな、正義感ある、とても良い先輩でした。その先輩が、この事故で助手席に乗っていて・・・。この事故はもちろん飲酒運転でもなく、どうしようもない事故であったようですが、残念です。優しさにあふれたその先輩の絵が何点か残っていてそれらを見ていると、何か心の底からこみ上げてくるものを感じます。僕はたまたまこの先輩しか知りませんでしたが、他のみなさんに聞くと、亡くなった四人みなさんは浜松医大にとって、とても大切な人たちばかりでした。
また、僕が入学する前には、飲酒運転に絡んだ死亡事故がもう一件ありました。僕もこの模様は詳しく知らないのですが、この亡くなった方、一年生であったようですが、この方と同級生で、同じクラブで同じ運命をたどったかもしれないという先輩に偶然話を聞く機会がありました。普段はとても強い、涙など見せたことのない先輩ですが、涙なしには語れないと、そのころの模様を泣きながら語ってくれました。あまりにもショッキングな事件でした。
事件の模様を知らない人は、いろいろ想像を膨らませ、事故を起こした人をどうしようもない人であったと、とりがちですが、話を聞けば、当事者もすごく良い方で、どうしてこんなことがと、ただ残念に思うだけです。それは、子を亡くされた親御さんが、浜松医大のためにとそれでもいろいろ寄付していただいているのを知れば分かります。
こうした事件は、あまりにも悲しい過去のため伝える人もなく、またみんな忘れようとしてしまいます。しかし、こうした事件は、特別な人が起こしたわけでなく、普通の学生が、見本となるような学生でもちょっとした気のゆるみから、また時にはどうしようもなく偶然に起きてしまうことを忘れてはならないと思います。どうしようもないこともありますが、亡くなった方のことを、またそのご家族のことを思い、二度とこのようなことがないように、僕たちは楽しく、活発に学生生活を楽しみながらも常に心のどこかにこういった過去の出来事を止めておく必要があるかと思います。そうすれば、無茶な運転、飲酒運転などは絶対できないはずです。
亡くなられた方々のご冥福を祈るともに、二度とこのような事件がないことを誓い、またいつまでも浜松医大の発展を見守っていて頂きたいと思います。亡くなられた方たちのためにも、これからみんなで大いに浜松医大を盛り上げていきたいものです。