研修医日記

患者さんから学ぶこと
 僕たちが相手する患者さんはほとんど僕たちより年輩の方です。僕たち若手研修医が一方的に偉そうなことは言えません。医師はどうしても科学的な医学的な面からのみ病態を強調しがちですが、その人のこれまでの人生、生活を総合的に考えてなにがよいのか常に考えていかなければならないと思います。ただ、医師であるからには感情に踊らされない科学的に冷静に診る目が必要であることも確かだと思います。しかし患者さん全体を見ないで病気だけ診ている時、いくら良い治療をしても患者さんと医者の間に不信感が生まれてしまうものと思います。
研修医生活で感動したこと
 患者さんとベットサイドでお話をしていると、本当にいろんな人生があるなというのを常々考えさせられます。鳶職として僕たちには考えられないほど大きな作業をしてきた人、70過ぎても社長としてがんばっている人、80越えながらも男一人で家の家計を心配している人。人生に目標がある人、前向きな人は光っています。
病気と共存
 病気と闘うという言葉をよく聞きますが、病気とはその人の生活、人生の中からでてきたものであり、無理して戦うと言うよりは、うまく共存していくなかで、もう一度自分のライフスタイルを考え直してみることが大事かと思います。
最期のとき
 既に何人かの患者さんを看取りました。最初は何か怖いような気がしましたが、だんだん冷静に見られるようになりました。その中で思うことは、死の瞬間とは、その人、たとえば90年生きた人なら、本当にその人90年間の最後の時なのです。医師のエゴで無理に一秒一時長生きさせることもできますが、多くの管がつながられたり、苦しい思いをする事も少なからずあります。その人にとって、家族にとって、本当に最後の一時を医師として大事にさせてあげたい、最初の頃は亡くなる人に医師として何かすることがあるのかと疑問に思いましたが、できるだけ苦しむことなく、家族の受けいれられる最後のときをむかえさせてあげるというのも医療の一つの大事な役目なのかと思うようになりました。この世にいる限りみんないつかは最後のときがあります。その時を最先端の医療を使って、大事にしてあげる、働くまでは考えても見なかったことですが、最近よく考えさせられます。
浜松医大での研修を終えて
 本当にはやい一年でした。右も左も分からなかった最初の頃のことを考えると確かにこの一年間で学んだことはあまりにも多かったと思います。浜松医大で研修できたことを本当に感謝しています。先生方にも大変恵まれました。人間関係でストレスがたまることはほとんどありませんでした。また何よりも患者さんから学んだことは多かったです。医学知識だけではありません。最初の頃、点滴を何度か失敗する僕たちに、自分も癌で余命限られて余裕がないのに「針を刺す君たちは痛くないんだから何度でも気にしないでやりなさい」と心から笑顔で言ってくれた患者さんの言葉、顔は一生忘れることができません。自分だったらこんなふうに振る舞えるのかと考えると本当に頭が下がると同時に、謙虚な気持ちにならずにいられません。またこの一年間乗り越えられたのは同じ研修医仲間がいたからだと思います。寝不足でたおれそうになっても一緒に頑張る仲間がいたからやってこれたのだと思います。忙しくてぎりぎりまで仕事をして週末にポケベルでいつ呼ばれるか分からないんだけれど一緒に飲みに行ったりもしました。本当に楽しかったですね。
旅立ち
 半田町で暮らした7年間、メロン農家の大家さんにお世話になり3年生の時からアパートを借りました。家賃は今では信じられないくらい安くて、風呂、洗濯機は共同だけれどとても広い風呂で大家さんがいつも掃除してためてくれてあるので気持ちよくのんびり入ることができました。家賃は毎月直接大家さんに月謝袋で手渡し、最初は面倒くさいと思いましたが、月に一度くらい大家さんの顔を見るのも良いものです。いよいよこの生活に終わると思うと、最初は何もなかったアパートもいつの間にか自分にとって居心地の良いすみかになっていました。段々片づけて殺風景になっていくのがなんか寂しくて・・・。卒業の時は、すぐ浜松医大での研修医生活が始まるのであまり感じなかったけれど今、2年目の研修がスタートするにあたって浜松を離れるとなると何とも寂しいものです。学生を6年間過ごした半田町、研修医生活を一年間過ごした半田町。最後、大家さんの奥さんに家で挨拶をして、メロンハウスのところで麦わら帽子をかぶった旦那さんが「立派になってがんばってよ。」と言ってくれた言葉、車が出発するまで見送ってくれた大家さんの姿がいつまでも忘れられません。

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