イエの年中行事今昔  

家の中で行われてきた何気ない伝統行事を、祖母から聞き調べまとめてみました。

( )内は旧暦を表します。

○は現在も行っている行事、×は現在はやっていなことを表します。

正月 1/1(1/1) 
○ 朝9;00に村の人が集まり、人型、しめ縄を作って、氏神様のお祭りの準備をします。
準備が終わったら家でお雑煮を出します。村の人たちには昔からおかめの杯を出しました。
お雑煮に入れる里芋は曾祖祖父が愛用したという鍋で現在も煮ています。
× 家で糀を七升、ご飯を三升を12/30に準備して、正月村の人たちがお雑煮食べ終わると、5-6人、クド(竈;炊事場)へ入ってきて甘酒を作った。半分は村の人が沸かして飲み、半分糀を持っていって氏神様で沸かして飲んだ。子供らにも配った。それが途中からお饅頭に変わった。
× また家では冬至に南天の実を採っておいて、元日の朝に井戸から若水をくんできて、一粒、杯に水を入れて飲んだ。串柿も歯固めとして食べた。
地の神様(じのかみさま) 1/1(1/1) 
○ 家の周りに三カ所ある地の神様に村のお祭りのまんじゅうをあげる。
村信心 1月
× 一日で村中を村人が回って神様を拝んだ。
旧正月 1/15
○ 神様の部屋の掛け軸をすべて出して、仏様、クドの神様、えびす様、台所の神様、押入の中の神様、年神様に、里芋、みかんをあげる。年神様は年によって向きが変わる。(僕の寝床の真上にあります。)
神様の部屋にはお餅をあげる。今では、遅れてやりますが、昔は以上の行事をすべて正月にやり、お正月の朝はあちらこちら祭り回ってなかなかお雑煮が食べれなかったようです。
新木(にゅうぎ)(1/15)
× 4日にきって、11日に新木(樫の木でつくる)を割る。もちいの日は縁側の柱、神棚、門松、お蔵、茶小屋など屋敷の隅々へ新木を祭った。新木は普通の墨でなく楮(こうぞ;紙の原料)を燃やして、すり鉢ですって作った墨を使って椋(むく)の木の筆をつくって字を書いた。普通の都市は12月と書き、閏年は13月と書いた。仏様の正月といわれている。年神様の棚には瓜の木ではしをつくりしんぜた。まめ節にてつくったのは各神仏へ供え取り、とった後にはかな火箸、豆節の火箸とした。
各神仏へお粥をしんぜた。
節分 2/3頃
× 節分年取りの晩に魔除けに破れたぼうら(目かご)へきれたわら草履とヒイラギ、花の葉、くろもじを入れて竹竿の先へつけ軒端へつるした。
○ 今も、くろもじと香の花の木で火箸をつくり香の花の葉を入れて豆を煎る。
煮干しの頭にくろもじの枝をさして家中の神様、門口、仏様に魔除けとしてあげている。
彼岸 3月
× 餅をつき新家と餅を交換し、仏様へあげた。
節句 5/5(5/5)
× お米の粉を夜なべに一升五合くらいひいて、お菓子輪と巻き(よしで包んでわらで縛った団子;ちまき)を魔除けとして、台所へつるした。菖蒲と蓬を縛ってお風呂へ入れた。蓬と菖蒲をはさんで屋根の瓦へさして祭った。
田植え 6月 
農休み 7月はじめ
× 田植えが終わるとお柏を作って備中鍬、つなおおあし(田を平らにする道具)など田植えに使った道具をきれいに洗って車庫へ祭った。
七夕 7/7(8/7)
× 朝里芋の葉に溜まった露で墨をすると字が上手になると言われ、それで墨をすって願い事を書いた。僕も子供の頃はやっていた。
お盆 8/15
○ おシュロ様をまつる。竹で棚を作り、茄子で牛を作って、お供え物をあげる。
十五夜 10/5頃(8/15)
× 粟をついて大豆をいって餅取り粉をひいて一年の月の数だけ(12個か13個)粟餅を作って祭った。
十三夜 10月頃(9/13)
× ゆでた里芋とふかしたサツマイモを蒸してあげた。
神送り 11/1頃(10/1)
× 神無月の10月に生のお米をついて餅にする。一升五合、餅米とウルシを半々、生のお米を冷やかしておいて時間をかけて杵でつく。3つに分けて2つはわらへ大きく包み込んで上と下をわらで縛ってお弁当として、一つは奥の間の床の間へ、一つはくどの神様へ、明日神様が立つという日にあげておく。残りは仏様と恵比寿様へ生であげる。後で下げてまたつき直して里芋、人参、ごぼうを混ぜて煮る。すいとんみたいだったという。「お団子のおいしいこと今でも忘れもせん。残ったのを温めて食べるがそのおいしいこと。」と祖母は言う。煮た物は仏様と恵比寿様へあげた。年中で一番偉い行事がこの神送りであったそうです。
 神様が留守の間に麦を巻いて肥をかけた。
亥の子餅 10月〜11月(亥の日10/6頃)
× 三升炊いてその年の月の数だけ大きなぼた餅を作って、重箱へ入れて、隣(といのり;新家)へ持っていった。隣は隣でまた家へぼた餅を持ってきた。猪を追い払う意味があるらしい。
えびす講  11/20頃(10/20)
○ 神様が出雲大社へ縁談を決めにいっている留守にえびす様を居間へ出してあげた。新しい札を貼り付け、さんまを上げ、お揚げ、ちくわ、人参、ごぼうを煮て祭る。
冬至 12/
○ 屋根裏の備中焼きの壺の水を換える。火事にならないという。
大晦日 12/31
○ 家ではなぜか昔から(祖母がここへ嫁いだ頃は既にそうだった。)年越しそばでなく、大根とお揚げなどの煮物を食べて年を越した。
× ご飯を三丈炊いて(普通家で作るにはお粥だが)、麹を七升七袋併せて冷めるまで待って甘酒を作った。
春埜山 毎月15日
○ 家の裏にある盗難よけの神様を村の人たちが交替で祭る。今でも昔からの祭器を使う。
あつた講 毎月
× 常会の前身。袋と升があり、一軒一軒宿の人がお米とおかずを集めて回りそれでご飯を炊いて出した。
米日待ち 粟日待ち
× 詳細は不明だが太陽と月のお祭りであったようだ。
庚申様 年に6回
白いご飯をおちゃつへ盛ってあげた。
甲様 年に6回
庚申様のお祭りの後、5日たって小豆のご飯を一升升へ盛ってあげた。

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