ボランティアについて一考 (1998)  

 浜松医科大学には四ツ葉というボランティアサークルがあります。僕は4年生の時、部長につきました。その間、特に4年生時は剣道部の副部長や他のサークルの責任者等受け持つ中、試験期間中はテストとも重なりながら、平日の夜から、土日のまで四ツ葉の一週間とも言える、かなり過密な中ボランティアとしていろいろなところに顔を出してきました。
 これでよいのか、どうしてやるのか、いつも自問自答しながら、また時には考える暇もなく動いてきました。
 僕は、ボランティアという言葉が好きではありません。ただ、説明上、分かりやすく説明するために使わざるを得ない状況が多く、つい使ってしまい、何か誤解を生むのかもしれません。もともと、僕が下級生の頃は先輩もボランティアということをあまり強調せず、ただひたすら障害を持った人たちと遊ぶというような形でやってきました。
 しかし当初、一部の学生や、また教員にもこのサークルについて誤解されている空気を感じたため、僕が部長の時には、新入生や多くの学生にどんなことをやっているのか、また少しでも興味のある人には、一回でもいいから参加してもらおうと、いろいろな活動があって部員でも全体像が把握できなくなっていた活動内容もう一度分かりやすくプリントにしてまとめ直し、部外の人にも活動内容を分かりやすくするためにボランティアサークル四ツ葉としました。
 ただ、ボランティアサークルという名前を使ったことで、登録は100人前後あるのですが、一度も活動に出たことが無く、それでも一応、ボランティアということで名前だけでも入れて置いて欲しいという人が出るなど、ボランティア先にありきと考えてしまう人が出たことは何とも寂しいことでした。
 理想としては、ボランティアという言葉などは関係なく、障害を持った人たちと自然につきあえるサークルを目指したかったのです。障害を持った人たちと最初から自然につきあえる人はいませんし、僕もいまだ顔が引きつるときもありますが、そうしようとする努力が大事だと思います。
 国家試験に合格してしまえば、医師、看護婦になるわけで、立場上、そうなってからではますます同じ視点で考えること考えようとすることも難しくなると思います。学生時代ならまだそれが少しはし易いという意味で僕は多くの人に経験してもらえればよいと思っています。
 それから、ボランティアは偽善だと言われる方がありますが、偽善でも良いので、またみんな僕たちのやっていることは偽善なのかもしれませんが、参加してみないことには何も始まりません。とりあえず、障害を持った人たちに声をかけ、最初はみんなこわごわですが、障害を持った人たちのことを何とか、少しでも理解しようと努力することが重要だと思います。
 入学当初は、僕も障害者とは縁が無く、近寄りがたいものを感じていました。先輩に誘われ、何か自分の中で発見があるかと期待しつつ、こわごわ、正直言って、いやいや最初は参加したものです。話しても答えは返ってこなく、奇声を上げたり、よだれを垂らしていたりしていればとても近寄るのはいやでした。脳性麻痺で車椅子の人のトイレの介助を先輩がしびんを使ってやっているのを見て、そんなことまで僕たちがするのか、汚くてそんなことはとてもできないと思っていました。
 そんなわけで、1、2年生の頃は、学校になれなくて、また体育会系の活動が厳しいうちの大学のシステム上、剣道部の下働きで忙しかったりして、四ツ葉にはちょうど開いた土日に誘いに断れず出る程度でした。それでも年に数回は参加し、そんな中で少しずつ、何か分かりかけてきました。
 3年生にもなると各部活動とも責任者になることが多く忙しくなりますが、なれてくるので、多くの仕事がこなせるようになりました。
 平日には、分け合って親と一緒に暮らせない子供たちの暮らす清明寮への家庭教師にいきました。小学生から高校生まで一緒に同居して、にぎやかかったり、中には複雑な家庭事情であったりして、勉強にならないことも多くありました。教えてた子供に無視されて一度はイヤになったものです。一日授業に出て、剣道でしごかれて、疲れて車で30分以上かけてきたのに、こんな様ではとてもじゃないとも思いました。そういう中、たまに頼りにしてくれる子供の一言に励まされながら、また時には寮のシステムについて本当にこれでよいのか疑問に思い、大胆不敵にも寮長さんに直接話を伺ったりもしたものです。
 また、平日、3年生の後期から、自閉症について大変積極的なある両親にみせられた何人かで、キッズクラブと称して自閉症の二歳児の男の子の訓練プログラムの手伝いというのも始まりました。ここでは、自閉症について詳しく知り、現在の医学では特に何も施しようがないこと、それに対していろいろな試みが試されいることを知りました。両親とともに訓練プログラムを続けていくうちに、だんだんいろんなことができていくことに喜びを感じながらも、本当にこれでよいのか、両親と共に暗中模索でした。でも、この子の上の二人の兄弟とともに、大変魅力的な家族に出会えたことは何にも代え難いものでした。
 年四回ほどある土日の集まる会では主に脳性麻痺の車椅子の人たちと、僕たちだけで車を使って、フラワパーク、動物園、買い物などに出かけます。
 四肢は不自由ですが、考えは大変しっかりしています。話なれないことからなかなかうまく自分の考えを言えない人もいますが、じっくりものを考えるという意味では考える間もなく忙しく動き回る僕たちよりずっと人間らしい生き方をしているのかもしれません。現代の隠れた哲学者といっても言い過ぎではないでしょう。最初は見た目だけで判断していたものの、夏のキャンプなどで一緒に寝泊まりした時などにゆっくり話を聞くと、今までは考えたことも聞いたこともなかった施設での障害者側から見た問題がでてきました。
 一年生の時に全員、学校の実習でバスで一日だけちょっと行った、宮沢元総理大臣も訪問した天竜厚生会ですが、学校の実習の解説ビデオでは一歩進んだ障害者の施設として紹介され、一見障害者の楽園かと思っていました。
 しかし、実際にそこに入居している集まる会の一メンバーから聞いたところ、山の上に障害者ばかり集めて、まちから、一般住民から隔離し、障害者のためのはずの施設が、ますます一般の社会から隔離された社会的な障害者を生みだし、障害者の意見はあまり聞かれていないことも知りました。障害を持った人たちは社会的に益々障害者としての位置をかためられ、その主張は一般社会になかなか届くものではありません。日本にもこれほど差別をうけている社会的弱者がいたとは知りませんでした。
 僕たちは集まる会として障害を持った人たちをたまに外へ連れだすのですが、「何をしたいですか」と聞いても、「何がおもしろいのか分からない」、「何をしていいのか分からない」と言うことを聞きます。まさにこれが社会的な障害者ではないかと思います。僕たちが当たり前のようにしている買い物、映画、レジャーなどが当たり前ではないのです。
 会を重ねるうちにだんだん親しくなり、最初はとてもできないと思っていたトイレの介助なんかも、その人から説明されながら最初はこわごわでしたが、今では多少の面倒くささは有るもののいつのまにか全く気にならなくなりました。
 ただ、この集まる会において問題と思うのは、年々離れていく年齢差です。20年くらい歴史のある四ツ葉ですが、最初は集まる会の人たちの方が学生から見てずっと小さく、かわいいかわいいですんでいたようですが、年をとるにつれ、年齢が一緒くらいになり、そうすると同じ世代として、また話も盛り上がります。しかし今では学生の方が下で、またつきあい方も昔と同じようにはいきませんし、同じでよいのか疑問に思うときがあります。いつまでも何々ちゃんで良いのか。障害者の方も、ある程度、年相応のつきあい方になっていくべきではないかとも思います。
 毎月一回、日曜日にはあひるの会があります。これは、身体に不自由はないのですが、精神発達遅延(自閉症やダウン症ほか)の子供たちとそのお母さんの会で、ミニ運動会、遠足、バーベキューなどレクリエーション中心です。
 最初はやはり、意思が通ぜず、戸惑ったものです。しかし、いつも表情を変えない子供や、絶えず奇声を上げている子供など、一見何も通じてなさそうに思えた子供たちも、何度かあっているうちにだんだんその表情に変化を読みとれるようになり、またちょっとした変化にも喜びを感じることができるようになりました。さらに何度か参加していると表現ができないだけで、実は僕たちのことも分かっているし、いろんなことが分かっているんだと言うことにだんだん気が付いてきました。
 またこの会では、お母さんたちとの話ができるのもまた僕たちにとっては大変ありがたいことで、障害を持った子を持った最初の頃の母親の気持ち、またその後どうにかして障害を克服しようといろんなことにチャレンジした時期のこと、そして現在の心境などを聞かせてもらうことができました。まわりから見ているだけでは全然気づかなかった様々な問題を、実際にそういった子供を持つ母親から直に聞くことができたことは大変貴重な体験でした。そしてそれは、僕たちも6年間、いつもではありませんが、何とか子供たちのことを理解しようとしてきた経験の結果、お母さんたちの話もまた切実な話として聞くことができました。
 薔薇色の会は画家の中道先生のご指導のもと、あひるの会のメンバーの中から有志という形で数家族参加しました。一月に1、2回、夜に二時間くらい、子供たちに自由に絵を描かせるというもので、ボランティアとしては、近年活動が増え忙しくなりすぎた問題等から四ツ葉の正式な活動としてではなく、これもまた有志を募って数名参加しました。
 先生のご指導の結果、子供たちも見応えある絵が描けるようになり、クリエート浜松での宝石箱展、医大祭四ツ葉のコーナーに特別展示として、また長野のパラリンピックの展覧会にと活発に活動しています。
 ここに参加する子供たちは20歳を越える子が多いのですが、母親の大方の意見としては、その子の治療として何かを強要するというよりも、子供たちの楽しみを一つでも多く見つけてあげたいという気持ちがまずあります。子供たちにもいろいろなタイプがありますが、ここに多い自閉症の子供たちは言われたことは忠実に繰り返しますが、何かを自分から新たに生み出すということに関してはあまり得意ではありません。
 つまり、絵を芸術として難しく考えるよりも、また展覧会などに追われ忙しく絵を描くよりも、また治療の一環とするよりも、子供たちの楽しみを一つでも多く見つけてあげたいという母親の素直な気持ちがあります。これは、その子を持つ母親、今まで苦労していろんな挫折等繰り返しながら育ててきた母親でなくてはなかなか分からない気持ちでもあります。
 この会においては、先生の芸術に対する考え、子供の障害の医学的問題、母親の考え、そして一番重要な子供の幸せとはなどを考えると、この会における再考の余地はまだまだ多いかと思います。先生にも、絵を習う芸術家として来ていただくのか、絵に詳しいボランティアとして来ていただくのか、そのあたりも曖昧なところがあり今後の課題かと思います。障害者と絵画、芸術とはどのような関係がよいのか、会を地道に続けていく中で何か見えてくるものがあればよいと思います。
 また年に数回、日曜日、浜松協働学舎のお手伝いにいきました。学舎祭や運動会、遠足やクリスマス会などです。ここは精神発達遅延と、中には身体上の不自由もある子がいて、四ツ葉の活動で見る障害者の中では最も重度です。最初はなかなか入れないものです。ただここの施設の職員の方々の情熱的とも思える仕事ぶりには感動します。障害者と共に常に生き生きと前に進んでいます。それは、僕が関わった数年間のうちに見る見る施設が大きくなり、充実していったのを見ても分かります。いろんな新しい試みをし、先を見て、地域の中に障害者が生活していけるように、また母親とべったりとなりがちな障害者が、親と別れた後も社会で自立して生きていけるように目指しているところは大変共感できるものです。
 夏に一泊旅行に付き添ったとき、宿に精神発達遅延と、歩行にも不自由がある子と一緒に泊まり、夜てんかん発作が起こったときはびっくりしましたが、一応話は聞いてあったので無事すぎました。また、何年かに一回行われるチャリティーコンサートの手伝いでは、体を精一杯動かして楽器を演奏することもたちとともに貴重な時間を過ごすことができました。
 筋ジス会は年に数回、バーベQや秋の一泊旅行、忘年会、フラワパークでの親睦会等があります。多くの筋ジスの子供は20歳くらいまでに亡くなります。不自由な一人歩き、車椅子、ベットと年々会う度に体の不自由さが増している子供を見ることはちょっとつらいものですが、そういう中で逆に子供たちの笑顔に励まされながら、一緒にできるだけ楽しく時を過ごそうと努力してきました。また筋ジスのある型は成人してから発病します。一泊旅行などでの夜の会話では、職を失い、だんだんからだの不自由さが増してきたことに対する不安等も聞きました。数年間の活動に参加していると、話したことのある何人かの患者さんが亡くなられました。
 12月に行われる「障害を持つこらとともに楽しむクリスマス会」を目指して、9月から毎週月曜日夜に二時間ずつ実行委員会が開かれます。からだが不自由だったり、耳が聞こえなかったりといろんな障害を持った子供たちにいかに楽しくみんな一緒に過ごしてもらうか、劇の内容や、いろんな全体での遊びが考えられ、台本の制作、道具の制作が少しずつ行われます。この準備は、四ツ葉以外にも、中学生くらいからの学生から、施設の職員や養護学校の先生、会社員、そして聴覚障害者や、軽度の障害者も一緒になって考え準備、進行します。
 この中でまたいろいろな人たちとの出会いがあり、大変勉強になりました。当日300人くらいの入場者を迎え入れ、障害を持った人たちと一緒につくった障害を持つ子らと共に楽しむクリスマス会は、子供たちを笑顔で送り出した後、何とも言えぬ達成感で満たされます。
 他にも、糖尿病キャンプでは本学小児科の先生たちとの出会いがあり貴重でしたし、喘息児キャンプもまた勉強になりました。部長の時には、市のボランティアサミットに参加することになり自然に対するボランティアの第一人者である馬塚さんをはじめ、神戸の震災ボランティアの方たちと共にパネラーとして大変でしたが、またそこでもいろいろ考えさせられ、また変わった出会いがありました。
 本当に四ツ葉のいろんな活動に顔を出し、いろいろな人たちとの出会いがあり、その中でいろんな考えも聞きました。特に各活動の夏の一泊のキャンプでは障害者やいろんな人の話がゆっくり聞け、貴重な体験となりました。
 四ツ葉の活動はまず最初は楽しくしよう盛り上げようという気持ちが大事だと思います。少しだけ障害者人たちの体の不自由さなどを気づかって後は僕たちが楽しい時を過ごすことで、また障害者の人たちも楽しい時を過ごすことができると思います。
 最初は誰でも障害者の人たちのことを過剰に気づかいすぎるものですが、僕たちが普通にやることに思い切って挑戦させてあげるのも僕たちの役目でないかと思います。普通のこと、遊園地や映画、自由な買い物など何気ないことだけど普段はなかなかできないこともあるようです。その後、じっくり話を聞いたりして益々楽しくなると思います。
 市ではボランティアを強調して、ボランティアによるボランティアのためのお祭りが大々的に行われたりして、一見ボランティアが盛んであるように思えますが、疑問なところもあります。
 いろんなボランティアがあって一概には言えませんが、少なくとも障害者と関わる活動では、障害者の側からの視点に少しでもふれることが大事ではないかと思います。ボランティアという言葉に踊らされることなく、常に考え、表面だけのつきあいではなく、何かもう一歩踏み込んだところまでいけると活動自体本当に楽しく、またこれがみんなに浸透した時、もう一歩進んだ豊かな社会が生まれると思います。
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